ノーベル賞受賞の湯川秀樹の頑張ることができる格言集

ノーベル賞はダイナマイトの発明者ノーベル博士の遺言に従って設立された世界的な権威ある賞であり、日本人の受賞者も複数存在します。

湯川秀樹もそのうちの1人であり、彼の名は日本人初の受賞者として知られています。

彼は1981年に74歳でこの世を去るのですが、それまでに多くの言葉を残しました。

目的もなく気力が出ない人のために湯川秀樹の頑張ることができる格言集を紹介します。

前向きな人生を送るためのヒントが残された言葉の中に隠れているかもしれません。 

・湯川秀樹が残した素晴らしい格言・名言

 湯川秀樹の名言・格言①

★取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。

失敗を恐れて頑張ることを避けるのではなく、失敗があることも当然だと理解する重要性を説いた言葉です。

 湯川秀樹の名言・格言➁

★アイデアの秘訣は執念である。

閃いたアイデアをただのアイデアで終わらせるのではなく、執念を持って現実化させることが重要です。

 湯川秀樹の名言・格言③

★一日生きることは、一歩進むことでありたい。

たった一歩の前進でもそれが毎日続けば、大きな前進となるのです。

 湯川秀樹の名言・格言④

★真実は、いつも少数派。

周囲に理解を追いついてもらえなかった、そんな苦労が伺える格言です。

 湯川秀樹の名言・格言⑤

★今日はあれをやり、明日はこれというように、あまり気が散ると結局どれもものにならないですね。

あれをやれこれをやれと無計画に物事を進めようとしても、結局成功しないという教訓です。

 湯川秀樹の名言・格言⑥

★ただ流行を追っているというのは、つまらない生き方です。

海外の流行を後追いして真似ばかりすることを嘆いた言葉です。

 湯川秀樹の名言・格言⑦

★今日の真理が明日否定されるかもしれない。だからこそ私どもは、明日進むべき道を探し出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを振り返ってみることも必要なのである。

前に進む重要性を訴えた名言がある中、湯川秀樹はたまには振り返ることも必要だと言ったのでした。

 湯川秀樹の名言・格言⑧

★中間子の発見は、まだまだ大きい宇宙の中の一つの星を見つけたようなものです。

彼は中間子に関する論文がきっかけでノーベル賞を受賞したのですが、それも宇宙と比較すればまだまだ小さいと言いたかったのでしょう。

 湯川秀樹の名言・格言⑨

★理論物理学という学問は、簡単にいえば私たちが生きているこの世界の根本に潜んでいるものを探そうとする学問である。本来は哲学に近い学問だ。

この言葉からは彼なりの学問に対する考え方が伺えます。

 湯川秀樹の名言・格言⑩

★現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。

現実はシビアでありシビアな人ほど現実を見ており、厳しい人はもしかするといないのかもしれないです。

 湯川秀樹の名言・格言⑪

★科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。しかし早い段階での失敗がなかったら、成功も飛躍もなかったであろう。

歴史に名を残した偉人ほど失敗を恐れず、否定していないようです。

 湯川秀樹の名言・格言⑫

★科学研究も人間の知的好奇心にもとづく創造であって、芸術やその他の文化活動と同じものだ。

知的好奇心によって突き動かされる偉人が多いのでしょう。

 湯川秀樹の名言・格言⑬

★自分の能力は、自分で使ってみなければわからない。

スキルについて疑うよりも自分で確かめないとわからない、そんなメッセージが込められています。

 湯川秀樹の名言・格言⑭

★君たち全員に優の成績をあげるけれども、勉強は自分でしなさいよ。

湯川秀樹は大学教授でもあり、学生たちにこんなメッセージを残していたのでした。

 湯川秀樹の名言・格言⑮

★地に空に平和を。

日本やその他の国々の平和を祈った湯川秀樹が残した、シンプルかつ重みのある格言です。

・湯川秀樹はどんな人物だったのか?

湯川秀樹は理論物理学者であり京都大学と大阪大学の名誉教授でもあり、さらに京都市名誉市民でもありました。

様々な肩書を持つ彼について、詳しく知らない人もいることでしょう。

どのような人物だったかについて、生い立ちなどをまとめます。

・・誕生と少年期

1907123日、現在の六本木にあたる東京府東京市麻布区市兵衛町に生まれます。

しかし湯川秀樹は人生の大半の時間を京都で過ごしており、京都出身と紹介される場合もあります。

京都市立京極小学校を卒業し、京都府立京都第一中学校に入学します。

学校ではあまり目立たないポジションで、面倒なことに対してはすべて言わんの一言で片付けていたためイワンちゃんというニックネームがあったようです。

・・結婚により湯川姓となる

1929年に京都帝国大学理学部物理学科卒業し、同大学の玉城嘉十郎研究室となります。

その後大学講師や教授などを務め、大阪帝国大学の講師にもなります。

また湯川スミという女性と結婚し、彼女の家の婿養子となりました。

結婚するまでの姓は小川でした。

・・アインシュタインとの出会い

1934年に中間子理論構想を、翌年に素粒子の相互作用について論文を発表します。

当時はあまり評価されなかったのですが、彼は1939年のソルベー会議に招待されます。

その後渡米してアインシュタインと交流を持ち、彼に対する評価は次第に高くなりました、

・・日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞

1947年にイギリスの物理学者がセシル・パウエルらにより、中間子が発見されました。

これにより2年後の1949年に、湯川秀樹は日本人初となるノーベル物理学賞の受賞者となります。

日本は戦争に敗れた後の時期でしたが、日本人の歴史的な快挙は当時の日本国民を勇気づけたと言われています。 

・湯川秀樹の有名なエピソード

 戦後の日本を大いに励ました湯川秀樹に関するエピソードの中から、有名なものを紹介します。

意外な一面が理解できるでしょう。 

・・鉄板ジョークを持っていた

湯川秀樹には素粒子についてこだわりがあったのです。

そもそも素粒子自体がとても小さいため、黒板に描くときに点で表現する人が多かったようです。

しかし彼は点ではなく丸で表現すべきと考え、素粒子を点で表現するのはテンで駄目だ、と学生にジョークを言っていたようです。

笑いのツボは人それぞれですが、学生たちは気遣って笑っていたようです。

・・実はノーベル平和賞も!?

日本人初のノーベル賞受賞者として知られる彼ですが、実は二冠のチャンスがあったかもしれないのです。

ノーベル財団が公表した候補者リストの中に、1966年のノーベル平和賞の候補者として彼の名前が推薦されていたのでした。

彼は学者としてだけではなく、世界平和を訴える運動も行っていたのでした。

日本への原爆投下を阻止できず涙を流したというアインシュタインのエピソードがあるのですが、彼はその影響を受けたようです。

・・教え子たちからの評価は?

実は彼の講義はあまり評判は良くなく、声が小さかったようです。

内容もかなり難解なもので、最初から認められていたわけではなかったようです。

それでも上記にあるジョークなどから、彼なりに努力していたことが伺えます。

学生たちも気遣うように笑っていたのですが、それは湯川秀樹という人物が尊敬されていたからです。

・湯川秀樹とその名言に感謝を!

日本人初となる歴史的快挙を成し遂げた湯川秀樹であっても、最初から認められていたわけではなかったのです。

周囲から認められず頑張れないと落ち込んでいる人は、とりあえず失敗を恐れないで自分のやりたいことを始めてみてください。

たまには振り返っても良いので、自分なりの道があることが重要なのです。

ノーベル賞という大きな結果はなかったとしても、勇気を出して進んで先に素敵な未来が待っているかもしれません。

        【人気偉人の名言散歩31 ラインナップ】

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