吉田松陰の名言

吉田松陰は日本の思想家であり、倒幕のために尽力した武士でもあります。

日本史の授業を受けたり歴史に関する創作物をチェックすると、彼の名前が出てくるでしょう。

一般的には明治維新における精神的指導者であり、松下村塾という私塾を開いて明治維新で重要な働きをする若い人材たちに大きな影響を与えました。

彼が残した名言・格言には、今の時代に必要な実行力をもたらすためのヒントが隠れているかもしれません。

様々な物事は激しく変動する今の時代を生き残るために実行力が欲しい人は、吉田松陰の言葉を参考にしてみてください。

 

・吉田松陰が残した格言・名言

 吉田松陰の名言①

★夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。

 

倒幕を目指し多くの若者たちに影響を与えた、吉田松陰らしい重みのある言葉です。

吉田松陰の名言➁

★私心さえ除き去るなら、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。

 

陽明学には心が私欲によって曇っていなければ、その本来のあり方が理と合致するという考えがあります。

吉田松陰の名言③

★だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。

 

自分自身の信念がしっかりとあれば、悪口と称賛は気にする必要はないということでしょう。

吉田松陰の名言④

★人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。

 

自分には何もないと消極的になっている人も、実は才能という名の純金を持っているかもしれません。

吉田松陰の名言⑤

★奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである。

 

志つまり信念だけは捨ててはならない、という熱いメッセージが込められています。

吉田松陰の名言⑥

★至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。

 

誠意を尽くして行動すれば何事も達成できる、という意味の格言です。

吉田松陰の名言⑦

★成し難きものは事なり、失い易きものは機なり。機来たり事を開きて成すは能わず、坐して之を失うものは人の罪なり。

 

困難な状況でも果敢にチャレンジしてこそチャンスが訪れる、という意味となります。

吉田松陰の名言⑧

★過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

 

何かにチャレンジして過ちがあってもそれ自体が問題ではなく、同じ過ちを繰り返さなために改める姿勢が重要なのです。

吉田松陰の名言⑨

★みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。

 

吉田松陰には多数の弟子がいて歴史に名を残していますが、簡単な師弟関係を嫌っていたようです。

吉田松陰の名言⑩

★今日の読書こそ、真の学問である。

 

今の時代は昔とは違い動画サイトやSNSなどのニュースもあり、新しい情報を入れてチェックすることもできますが、やはり本(書籍)にまさる情報量、情報の質はありません。読書する習慣を身に着けて、学問に励む姿勢を持ちましょう。

吉田松陰の名言⑪

 

★学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。

 

人は何故学ぶ必要があるのか、その答えとなる格言かもしれません。

吉田松陰の名言⑫

★決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。

 

できるかどうかではなく、決意を持って行動することに意味があります。

吉田松陰の名言⑬

★志定まれば、気盛んなり。

 

志があれば自ずとやる気が出るようになり、その志は叶うだろうというメッセージが込められています。

吉田松陰の名言⑭

★諸君。狂いたまえ。

 

狂うという言葉をネガティブにとらえるのではなく、常識や固定観念にとらわれるなという意味だと理解してください。

吉田松陰の名言⑮

★世の中には体は生きているが心が死んでいる者がいる。反対に体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても仕方がない。魂が残っていればたとえ体が滅んでも意味がある。

 

倒幕のために命をかけた吉田松陰、その不屈の精神力が伺える言葉です。

 

・吉田松陰はどんな人物だったのか?

 

明治維新の影の立役者であり、幕末の武士にとっては神様のような存在だったようです。

漠然としたイメージはあっても、彼がどのような人物だったか詳しく知らない人もいるでしょう。

吉田松陰という人物について、詳しく紹介します。

 

・・幼少期の吉田松陰

 

吉田松陰は天保元年に、長門国の萩で生まれました。

5歳のときに叔父である吉田大助賢良の仮養子となり、吉田家を継ぐこととなります。

まだ子どもだった彼はそのころからスパルタ教育を受け、学問を叩き込まれることになります。

 

・・対外思想の持主

 

大人となり精力的に活動することとなった彼は、西洋の先進文明に心を打たれました。

外国留学を決意するのですが戦争の影響で叶わず、しかし彼は強い対外思想を持つようになります。

彼が開いた松下村塾からは明治維新後の政府の中心メンバーが複数いるため、この思想は日本のアジア進出に大きな影響を与えたと言われています。

 

・・松下村塾を開く

 

安政4年に叔父が主宰していた松下村塾の名を継いで杉家の敷地に松下村塾を開き、弟子たちを育てます。

吉田松陰が一方的に教えるのではなく弟子たちを意見交換をしたり、登山や水泳などのイベントもありました。

彼の私塾は生きた学問と言われており、初代総理大臣である伊藤博文も松下村塾で学んだ1人でした。

他にも山県有朋や山田顕義、高杉晋作など日本史の教科書に登場するような人物が弟子だったのです。

 

・・現代の著名人にも影響を与えている

 

たとえば憲政史上最長の在任日数を誇る安倍晋三元首相も、吉田松陰の影響を受けているようです。

安倍首相は記者会見で吉田松陰が残したとされる言葉を引用し、話題となりました。

さらには小泉純一郎元首相やその他与党議員なども影響を受けているとされており、政界に与えた影響の大きさが伺えます。

 

・吉田松陰の有名なエピソード

 

数ある吉田松陰のエピソードの中から、有名で印象的なものを紹介します。

打倒幕府のために命をかけた彼は、どのようなエピソードを残しているのでしょうか。

 

・・ペリーからも認められた!?

 

鎖国の日本に開国を迫ったペリーは、歴史の教科書に登場する有名な人物です。

実は吉田松陰は艦隊に乗り込み、ペリーに密航を懇願したのでした。

立場上アメリカ側はそれを断るのですが、ペリーは吉田松陰の知識欲の高さと礼儀正しい態度に驚いたようです。

アメリカ側は彼を幕府に引き渡す際、寛大な処分を申し込んだと言われています。

 

・・メモ魔だった

 

彼は数々の格言や名言を残し、それらがまとめられた書籍なども発売されています。

実は吉田松陰はメモ魔だったと言われており、何でも書き留める癖があったようです。

友人に手紙を書いて送る際も、複写して書き留めておいたというエピソードが残っています。

彼の名前が未だに有名であり創作物のモデルとなっているのは、残された言葉の多さによるものかもしれません。

 

・・火事では自分よりも他人の荷物を運び出した

 

ある家に泊まり込みで勉強していたとき、その家が火事となりました。

しかし吉田松陰は家主の荷物を運び出すのを手伝い、自分の荷物は持ち出さなかったのです。

一家の主であれば大切な物は多いがそれに比べれば自分の物は大したことはない、という理由でした。

誠実な性格の持ち主だったようです。

 

・吉田松陰の名言---志を持って、道を開く!!

 

海外に夢を見てアメリカの艦隊に乗り込むだというエピソードから、吉田松陰の実行力は凄まじいものと言えるでしょう。

当時彼の言動や思想は過激であり危険視する人もいたようですが、その後の日本に大きな影響を与えたのでした。

今の時代に必要なのは周囲からの声や評価を気にすることではなく、志を持って己の道を突き進む姿勢なのかもしれません。

吉田松陰を破天荒や変わり者と言う人もいたようですが、普通の人には何も変えることはできないかもしれません。

 

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