松下幸之助の名言散歩

松下幸之助の名言散歩

松下幸之助(まつしたこうのすけ)は、現在のパナソニック(旧松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者です。努力の人としても知られ、今でも日本の経営の父としてモデルとする経営者は後を絶ちません。 今回は、そんな松下幸之助の残した数々の名言から、私たちの心の琴線に触れる名言をご紹介します。  

数多くの名言を残した松下幸之助の生い立ちと功績

 

「経営の神様」の異名を持ち、実業家、発明家であり、政治家の育成にも力を注いだ松下幸之助の功績は、日本の電器産業界の発展にとどまりません。 一代で世界に通用するパナソニックという大企業を築き上げた松下幸之助の功績は、並みならぬ、かつたゆまぬ努力の結晶です。 こちらでは、その後の電器産業や経営モデル、政界にも大きな影響を与えた松下幸之助の生い立ちと功績を順番に見ていきましょう。  

幼少期の松下幸之助

明治27年(1894年)1127日松下幸之助は、和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)に父政楠と母とく枝の三男として生まれました。 米相場で失敗して破産したため商売を始めたものの、商才のなかった父は事業にも失敗し、幸之助は9歳で丁稚奉公に出されました。そこで得た様々な経験は、のちに経営者として必要な心得の糧となりました。 その後、幸之助は大阪で路面電車が電気で走ることに感銘を受け、以来電気に関わる仕事をしたいと思うようになります。16歳になったとき、大阪電灯(現在の関西電力)に入社しますが、より知識を高めたいと願った幸之助は、1913年に関西商工学校夜間部予科に入学します。  

松下幸之助の功績

大阪電灯を退職した松下幸之助は、その後自宅で家族と友人の計5人で、新事業に乗り出します。なかなか事業は軌道に乗らず、友人たちは辞めてしまいましたが、幸之助は諦めませんでした。 その後、次々に新製品を開発するとともに事業を拡大し、1918年には松下電気器具製作所、1929年には松下電器製作所へ改称すると同時に「綱領・信条」*を掲げました。 1935年松下電器産業株式会社として自社を法人化した松下幸之助は、ますます熱心に研究開発に勤しみます。資材の調達がますます難しくなる中、1941年には発明者・考案者番付で西日本1位となります。第二次世界大戦時には軍需産業に関わり、戦後窮地に立たされますが、PHP研究所の設立により倫理教育を始めたことにより、なんとか乗り切ります。 電器関連産業だけでなく、航空機、証券、レコード事業などを手掛け、失敗と成功を繰り返しました。   *参照:https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/konosuke-matsushita/043.html    

松下幸之助の残した名言の数々

 

時に厳しいバッシングに遭いつつも、日本の産業全体に大きく貢献し、次々と新たなことにチャレンジする松下幸之助のバイタリティーと行動力は、多くの人の心を打ちました。 晩年は、日本だけでなく、世界を舞台によりよい暮らしをもたらす科学技術の振興に寄与するべく様々な活動を行いました。 こちらでは、そんな松下幸之助の残した数々の名言から、11点ご紹介します。  

  • 「事業はかならず成功するものと考える」

これは、楽をしていても必ず成功するといっているのではありません。 事業をしていて成功しないのならば、何か問題があるためで、その問題を見つけて解決しなければいけないということです。 つまり、事業をするからにはかならず成功させよ、という戒めの言葉なのです  

  • 「万物は生成発展している。生成発展が自然の理法である」

全てのものは生成発展するのが自然の理にかなっている、そのため、成長しないのは自然の理に反するということです。 つまり、何かをするためには「ものを作り出す」だけでなく「さらに発展させる」ことにより初めて意味がある、ということです。 「作りっぱなしにせず、改良を重ねてこそ意味のある製品だ」という、モノづくりに対する情熱が感じ取れる一言です。普段の仕事でも同じですね。  

  • 「失敗した所で止めるから失敗になる。成功するところまで続ければ成功になる。」

人は失敗するとそこで諦めてしまいがちです。しかし松下幸之助は違いました。 発明家、実業家として類まれな才能を発揮できたのは、失敗で諦めるのではなく、そこから成功するところまで頑張り続けることができたからと言えるでしょう。是非とも見習いたい心構えです。  

  • 「石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。」

時間は無限ではありません。限られた時間の中でどれだけ最善を尽くすことができるのか、だらだらと過ごすのかによって、当然結果は違ってきます。 1年でできるものを3年かけるのではなく、いかに効率的に着実に学ぶことができるのか。短期間で数多くの製品を世に送り出した発明家、松下幸之助だからこそ言えた名言と言えるでしょう。  

  • 「去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである」

なかなか結果がでないことは誰にでもあります。しかし、前進しないことと後退することは似て非なるものです。 流れに身を任せても後退しかできないならば、それは恥ずかしいことです。前進せずとも後退しないよう日々の努力を惜しまずにいれば、いつの日か前進したことに気づくでしょう。  

  • 「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」

人間誰しも失敗はします。しかし過ぎ去ったことをどんなに悔いても、過去は変わりません。未来も、心配してもしなくても、自分でコントロールできるものではありません。未来を切り開くのに大切なことは、「今」この瞬間で、ベストを尽くすことなのです。  

  • 「楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。」

楽観的でも悲観的でも、それぞれに方法はあるわけで、どちらが良いとか悪いということではないということです。 それぞれに解決法があり、その時々で最も合う方法を取ることが最善の道なのです。多様性を認めることによって、新たなアイディアも生まれます。一代でパナソニックをグローバル企業に成長させた松下幸之助らしい考えです。  

  • 「アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝ても覚めても一時に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。」

アイデアに溢れていた松下幸之助は、単なるビッグマウスではありませんでした。熱心に研究し、努力を重ねて見つけたアイデアは、世界に通用するものとなり得るのです。 認めてもらえるようになるには、日頃の努力と行動が重要ということでしょう。    

  • 「人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。」

自分の話はしても、他人の話は聞かない。そんな人は、心が貧しいことを周りにアピールしているようなものです。 「知っている」「わかっている」と思うのではなく、謙虚に耳を傾けることにより見えてくるものもあるはずです。  

  • 「自分の仕事は、人の助けなくして、一にも進み得ないのである。」

自分は一人でも大丈夫と思う人は、自分の傲りに気づいていません。人間助け合いなくしては生きていけません。日々の生活でも、常に周りに感謝し、謙虚でいてこそ、よい仕事ができるのです。  

  • 「自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かりものである。」

自分で手に入れたものは自分のものであると思いがちですが、松下幸之助はそれも世の中からの預かりものであると考えていました。 なぜなら、自分の仕事やお金は、結局、周りまわって自分のところに返ってくるわけで、その間には世の中の様々人がいるのです。だからこそ、「今手元にあるものも、預かっている」と、謙虚な気持ちでいれば、「他人のものだから、大切にしよう」という気持ちになれば、結果として自分にもプラスになるのです。  

まとめ

 

松下幸之助の名言の数々は、時代は変わっても心に響くものが多く、実業家でなくても心に留めておきたいものばかりです。 苦しい時や辛い時だけでなく、日々の生活や仕事でも松下幸之助の名言を思い出して、謙虚に前向きに人生を歩みましょう。  

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